コラム

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こちらでは、私 竹川和登が出会い、目にしたもの感じたことを直感的に書き綴っています。
  2007/10/31(水)

    ■先輩を大和ミュージアムへ案内
     今日は宮原高校の大先輩・原田先生が(元広大学長)上真一副学長と馬術部OBの景政さんを伴って大和ミュージアムにお越しになりました。呉からはヨット部OBの庭田さんと藤井先生、それに私が案内する事になりました。原田先生は天応にお住まいだったそうで大和が出てゆく時も、B29が飛んでくる時もよく自宅から見ておられたそうです。艦船の沈没場所も本当によくご存知で、熱心に見て回られました。朝9時頃からたっぷりお昼まで見学されました。年初には「音戸の舟歌」を歌いにこられるそうですが、これからもお元気で医学界のみならず、呉市の為にもお力添えを戴きたいものです。
  2007/10/30(火)

    ■蘇州旅情
     今日は夕刻の便で広島に帰る事になっております。午前中、劉君が蘇州に連れて行ってくれるというのでタクシーに乗り込みました。車で走る事、約1時間、蘇州に入ると途端に白壁のたたずまいが、多くなって参りました。まず最初はあの有名な寒山寺です。「月落ち烏啼いて霜天に満つ」あの有名な古刹です。初めて寒山寺の庭に立ちました。感激です。その後は虎丘です。紀元前5世紀の呉の時代の春秋時代末、呉王を祀った3日後、白い虎が現れたといういわれの地です。奥の小高い丘の上にピサの斜塔の様な建物が建っておりましました。近づいてみると本当に古く、今にも崩れ落ちそうでした。

     蘇州最後は世界遺産・拙政園です。広大な庭園です。明の時代の庭園という事ですが池が沢山あり、その廻りには柳の古木が枝を足れ下げています。かなり歩き回りましたが、これから上海に帰り、浦東空港から広島に向けて飛び立たねばなりません。お昼頃切り上げて昆山に戻りました。今日も商談に出かけていた土居専務、安田常務と合流、一緒に昼食を済ませて、皆さんに別れを告げ、用意して頂いたタクシーに乗り、一路上海空港を目指しました。夕暮れの上海を発ち、広島空港に着いたのは午後8時頃でした。27日から4日間待ち続けてくれた愛車TIIDAに乗り込んで、我が家に帰って参りました。皆さんはまだ中国に留まって仕事をされるようですが、瀋陽での塩本副総経理や孫秘書、昆山での焦所長、劉君など三建の現地のスタッフ、広島からの万代社長、土居専務、安田常務、石崎常務、等々大変お世話になりました。気をつけて帰って来て下さい。
  2007/10/29(月)

    ■上海観光
     朝9時のMU5602便で瀋陽桃仙空港を立ち、11時15分に上海浦東空港に着きました。空港には三建産業昆山事務所の焦強所長、劉チャン担当が手配してくれた車が迎えに来ておりました。上海観光の初っぱなは豫園です。以前一度訪れた事がありますが、やはり大勢の人で一杯でした。ここに来ると東京の浅草を思い出します。豫園界隈の雑踏は浅草の感じがするのは、私だけでしょうか。豫園の後は88階の金茂ビルデイングです。エレベーターで上まで上がると目の前に黄浦江が見えます。その向こうは旧租界地です。イギリスが押さえておったのでしょう、重厚なゴシック建築が立ち並んでいます。360°グルッと見渡しましたが、ビル、ビル、ビル。大都会です。こんな風景は見た事がありません。恐れ入りました。

     ビルを下りて川向こうの外灘(ワイタン)に行きました。先程ビルの上から見た重厚な建物群が目の前です。旧香港上海銀行の上海支店を初めとするゴシック建設群です。ビルの高さこそ川向こうのビル群に負けますが、そのどっしりとしたたたずまいは、歴史と風格を感じさせます。今昔の対比です。

     今日の夕食は昆山で上海蟹を堪能する予定になっております。一路昆山に向かいました。昆山のホテルはSWISSOTELです。なぜかHがありませんが、素晴らしいホテルです。以前はシャングリラと言っていたようですから、経営が変わったのでしょうか。瀋陽と言い昆山と言い、大変立派なホテルを手配いただき、感謝・感謝です。

     広島からの5人と三建産業昆山事務所の2人、東大三建昆山事務所の2人合計9人で上海蟹に舌鼓を打ちました。上海より、ここ昆山の方が本場だそうです。最後の夜です。乾杯、乾杯の連続でここ三日、ビールやら53°の白酒(パイチュウ)、ワイン、紹興酒、胃がたまげる程、飲み続けました。でも朝に、もたれはしません。後一日です。
  2007/10/28(日)

    ■瀋陽の世界遺産
     今日は夜6時からの10周年記念式典まで市内観光です。塩本君の秘書・孫女史が案内して下さいます。ホテルを朝8時に出発、合弁相手の東北大学をまず訪問、中国東北地方随一の国立大学です。続いて清朝発祥の地瀋陽の世界遺産ヌルハチの故宮や同じく世界遺産に登録されているホンタイジが眠る北陵公園等を廻りました。震え上がる程の寒さです。水たまりは凍っています。昼には安田常務と合流して満鉄ゆかりの大和ホテルで食事をとりました。暖かいスープがことの他おいしく感ぜられました。食事の後は繁華街に出てデパートをちょこっと覗き、地下商店街に入り込みました。さすが700万人の大都市です。大きなデパートが7つも8つもあるそうです。地下商店街では、私の趣味である鞄を一つ買いましたが、なかなかしっかりした造りです。

     途中で安田常務が、仕事で来た時によく使うというホテルで休憩、お茶を飲みました。おすすめの中国緑茶を頼みましたが、10元。日本円で約1500円です。結構な値段です。やはりここも一流ホテルならではという事でしょう。今晩の式典が行われるホテルに帰るのはタクシーを使いましたが、なんと荒っぽいタクシーでした。前がつかえると、いきなり歩道に乗り上げ、前の車を追い越して再び車道に戻る、歩行者も歩行者で、平気で車の前を横切ってゆく。危なくてヒヤヒヤでした。

     無事ホテルに帰り、少し休憩してパーテイーに臨みましたが、私は日本側の万代社長、中国側の東北大学関係者の方々と同じメインテーブルでした。右隣が土居専務でその向こうがSeoulからやってこられたSACの韓社長ご夫妻でした。韓社長は私が現役でSeoulで仕事をしていた時のライバル会社の役員でしたが、今や三建と提携して仕事を進めるグループ会社の社長です。懐かしい再会です。式典は中日双方の代表の挨拶から始まり、日本でいう鏡割りならぬ酒バケツを叩いての乾杯から始まりました。手品あり、雑技団のショウあり、楽器の演奏ありと盛りだくさん切れ目無しの約3時間でした。山武の上海法人の代表の平岡さんやアイシン現地法人の河合部長や長春通利アルミの神谷総経理が挨拶に来られました。三建産業も多くの会社の方達と協力して、現地での業績を伸ばしているのがヒシヒシと感じられました。時流に乗ったともいえるでしょうが、これからはアルミもさることながら鉄鋼分野もどんどん伸ばしてゆく事でしょう。自動車産業のこれからは、やはり中国市場が主戦場となる事でしょう。この事は先頃のベンダ工業のこれからの方針を聞いても感じられた事です。なんと言っても10数億の人数を抱える中国の巨大さを実感した二日間でした。
  2007/10/27(土)

    ■中国上海経由瀋陽へ
     今日は朝6時にうちを出ました。広島空港に着いて三建の土居専務、石崎常務、他と合流。中国東方航空のMU294便にて一路上海へ飛び立ちました。出発は9:00で到着予定は9:50です。飛行機の時刻表示は常にローカルタイムですから、こういう事になるのですが、上海まで50分という訳ではありません。時差1時間、所要時間1時間50分です。上海でトランジット、MU5606で瀋陽桃仙空港についたのは14:40でした。現地で副総経理をやっている塩本君の案内で、中日合資・瀋陽東大三建工業炉製造有限公司の本社工場を訪ねました。塩本君からぜひ一度審陽に来る様にいわれていた約束をやっと果たしました。実は明日、私がかつて勤めていた三建産業と中国東北大学との合弁会社・瀋陽東大三建の設立10周年記念式典が行われ、私もご招待を受けて本社の方達とやって来た訳です。

     立派な工場です。従業員は150名程だそうです。塩本副総経理の執務室も大変立派です。こちらに赴任して5年になるそうですが、私より大分若いのに頭は真っ白です。かなり苦労しているのでしょう。しかしながら業績は右肩上がり、彼の努力もまさに結果を出しているという事でしょう。彼の秘書で日本語の上手な孫英秀女史の案内でホテルに移動致しました。五つ星の瀋陽皇朝万豪酒店、瀋陽で一番立派なホテルだそうです。夜は気の置けない三建の仲間たちと前夜祭をやりました。中国の合弁会社立ち上げに苦労させた水本さん、定年後も技術顧問として広島と瀋陽を行ったり来たりしている間さん、安田常務、石崎常務、土井専務、塩本副総経理や中国側のスタッフ等とごく内輪の会食です。万代社長夫妻は東北大学の学長と会食の為、別行動です。本当にかつて一緒に働いた多くの仲間とここ瀋陽で再会致しました。

     瀋陽はかつての奉天です。現在人口は700万人だそうです。今日空港についた時も非常に寒さを感じましたが、5度くらいだったそうです。明日の明け方はマイナス5度くらいになるそうです。明日の夜のパーテイーまでは私は観光に廻る事にしておりますので今日は程々にして、早く寝る事にしたいのですが、かつての仲間が、もう一軒付き合えという事で、とある酒家に出かけました。そこの店はかなりの高級店のようでしたが日本の商社マンや駐在員が沢山来ておられました。皆さん昼間のストレスを、ここで日本の仲間とカラオケに興じながら晴らしておられるのでしょう。日本の経済発展も、こんな皆さんのご苦労の上に立っている事を忘れてはなりません。

     
  2007/10/21(日)

    ■400周年記念朝鮮通信使再現行列
     今日は最高の秋日和です。下蒲刈であった朝鮮通信使の再現行列に行って参りました。広島は浅野藩の接待だとばかり思っておりましたが、最初に来られた時は福島藩だったようです。柴村敬次郎保存会会長の挨拶の中で、当時の日記の中から停泊した船の中で、一行は夜を過ごされた事等がよく解りました。今年はSeoul近くの富明情報産業高等学校の吹打隊が参加してくれました。確か昨年は心印高等学校の生徒諸君だったと思いますが、遠くから良く来てくれます。本当に有り難い事です。

     行列が国書受け渡しの場所、下蒲刈中学校に到着する頃には、観光を担当される国土交通省の冬柴大臣も臨席され、一段と華やかになりました。私は冬柴大臣の挨拶が終わる頃に会場を後にし、ひばりケ丘に引き返しました。ひばりケ丘の秋祭りがクライマックスにさしかかる午後3時頃、防衛大臣政務官・寺田稔代議士がお見えになる事になっているので、間に合う様に引き返した訳です。3時前にはひばりに着き、政務官を迎える事が出来ました。4時頃にはすべて終了、即座に片付けにかかり、私はトラックに乗って団地内の幟を片付けて廻りました。やはり皆でやると仕事はスピーデイに片付きます。この団地は本当に皆さんが良く参加されて、手作りで色んな行事をやっております。大変誇らしい事だと感じておりますし、今年は特に若い人の参加が増えて来たようです。本当に嬉しく思っております。
  2007/10/20(土)

    ■ひばりケ丘宵祭り
     今朝は8時前から祭りの飾り付けです。近所の方達総出で約1時間、藁縄を張り巡らし、御幣をつけて廻りました。祭りの雰囲気が格段と盛り上がって参りました。
    夕刻は7時からヤブを連れて町回りです。私も8班と20班を担当して3人一組、いや二人と一匹での担当です。一軒一軒廻りましたが、それぞれ班長さんが先導して下さったのでなんとかスムーズに廻り終えました。いよいよ明日が本番です。が、私は下蒲刈に出かける事になっております。なんとか早めに帰って手伝いたいと思っております。
  2007/10/19(金)

    ■ベンダ工業黒瀬工場竣工式
     今日は11時から、ベンダ工業の黒瀬工場の竣工式に出席致しました。県の工業団地に完成した訳ですが、すぐ近くには11月3日より部分供用される東呉道路のインターチェインジがありますし、立地条件は最高です。仁川にあるベンダ鮮光工業の金社長や中国にある青島ベンダ自動車部品有限公司の八代行雄社長にもお会いしましたし、久し振りに蔵田東広島市長にもお会い出来ました。若い八代専務にバトンが渡される日が近い事も挨拶の中で理解出来ましたが、人材が着々と育っているのを感じて頼もしい限りです。いずれリング物ではシェアが世界一になる日が到来するのもそんなに遠くではないでしょう。午後からは役所に引き返し、打ち合わせを済ませてその後、広島の会合に出席致しました。バタバタしましたが本日の締めくくりは、ひばりケ丘の秋祭りの準備作業最終点検です。午後8時から2時間程で終えましたが、子供たちは直前まで笛や太鼓の練習をやっておりました。明日あさってと良い天気が続く事を祈っております。
  2007/10/17(水)

    ■久し振りのYY倶楽部
     今日は久し振りのYYクラブです。午後6時半から中通の3丁目のビル2階のクラブが、ここ数回の会場となっております。本当に気の置けない仲間10数名の楽しい会合です。広島のYMCAから一名参加されました。今度の土曜日に北海道から来るジャガイモのデリベリーの方法やゴルフコンペの事等、食事をしながら一杯やりながらの楽しい時間です。いつもの通りカラオケタイムも始まりました。あっと言う間の2時間でした。でもここでも、町の色んな情報が入ってきます。世には色んな会合、集まりがあります。いろんなところから声がかかります。時折、ほとんどの会合を色々と理由を付けて、欠席される方を見かけますが、私は出来うる限り出席の方向で検討させて頂いております。だって知らなかった事が色々と解って、新しい情報が入って来るし、昨日の瀬戸内海小安協のように「公益法人のあり方の方向性」等、勉強になる事ばかりです。新しい人との出会いもあります。こんな素敵なチャンスを、みすみす捨て去る事は無いというのが私の考え方です。
  2007/10/16(火)

    ■本年度第2回理事会に出席
     今日は社団法人瀬戸内海小型船安全協会の平成19年度第2回理事会に出席致しました。13時30分から広島宇品の港湾合同庁舎2階の予定から、6階の会議室に変更されて始まりました。今日は議案が3本、無事議了して討議連絡事項に入りましたが、新しい公益法人制度の概要について事務局より説明がありました。いわゆる一般法、認定法、整備法の公益法人制度改革関連三法が昨年6月2日に公布され、本年9月7日に三法に係る政令が公布された事に対する我が社団の対応が討議されました。新しい制度における認定の期限は平成25年11月30日です。我が瀬戸内海小型船安全協会としては本年度中に詳細を把握し20年度に政令の施行開始の為の準備作業に入り、23年度までに現行事業また組織体制等の適合性等を検討及び見直し整備作業を行います。
    その後、所管の官庁と調整協議の上、期限内の認定手続きを実施し新しい制度での公益法人として出発する予定です。

     今までは法人の設立、公益性の判断等については主務官庁の自由裁量に任されていましたが、新法のもとでは公益認定等委員会が判断する事とされました。今後は代理出席や委任は効かなくなり、本人の出席のみで議決される事になるそうです。会議の成立についても、それだけ厳しくなるという事です。透明性と厳格性が高まる方向という事でしょう。こんな会議に出席しておりますと色々と勉強になります。広島、山口、岡山、香川、愛媛の各県から15名の理事、監事が集まっての会議でしたが、こんな会議も今後は代理が効きません。なかなか大変です。宇和島や高松からの理事の方達は夕刻、足早に宇品港や広島駅に向けて帰ってゆかれました。本当にご苦労様でした。
  2007/10/14(日)

    ■宮原会コンペ
     今日は待ちに待った宮原会のコンペです。退院後、初めてのゴルフです。うまく当たるかどうか、出だしINの10番がドラコンです。先に出られた中田先輩の旗が立っておりましたが、私のボールはそれより飛んでおりました。が残念ながら右セミラフです。でも朝の第一打が飛んでくれて、多いに気を良く致しました。午前中は45点、午後は踏ん張って40点、計85点です。大満足です。

     宮原会は先輩第一です。同率7位でしたが、賞は広瀬先輩です。一緒に廻った井村さんが優勝されて、和気合い合いの本当に久し振り、楽しいゴルフでした。いよいよゴルフシーズン開幕です。どんどん楽しいゴルフをしたいものです。そういえば自民党総裁選挙後、全国行脚されている麻生太郎さんが本日、ここ郷原カントリークラブでプレイされていました。
  2007/10/13(土)

    ■島根県邑智郡邑南町「縄文村」
     夕べは友人と江津泊まり、今日帰広の途中で「自然食の店・縄文村」に立ち寄りました。川本を過ぎて瑞穂インターへ入るすぐ近くの高台にあるお店です。何度か来ておりますが、大変気に入っております。これまでは部屋の中で食事をしておりましたが、今日は天気がいいので、お庭の最先端のテーブルで食べる事に致しました。眼下に見下ろす町並み、開墾された山には「やまぼうし」を沢山植えられたそうです。ピンク色の可憐な花の群生も見えます。オーナーの駅場春樹さんのお話を聞きながら、素晴らしいお昼ご飯を食べました。朝方には雲海が目の前に広がるそうです。お昼だけでなく、早朝のあるいは夕刻の「縄文村」のたたずまいも、いつか見てみたいものです。
  2007/10/10(水)

    ■早朝勉強会
     今日は都内のホテルで朝7時からあった勉強会に出席致しました。2時間程で終えたその後、東京事務所、議員会館、参議院と廻って、午後からは友人と会い、夕刻のANA便で広島に帰って参りました。国会では予算委員会が始まり、テロ特措法の問題等、民主党はかつての代表を次々と繰り出しての論戦です。福田総理の官房長官時代の話等、容赦なく突っ込んでこられます。総理が切れるんではないかといった場面もありましたが、なんとか無事終わりました。我らが寺田政務官も石破防衛大臣と並んで答弁に立っておられました。ネジレ国会、これから参議院も予算委員会が始まりますが、民主党の繰り出す喚問要求や不信任決議案等が予想されております。そんな事ばかりやっていて、いいんでしょうか。いささかウンザリするのは、私だけでしょうか。
  2007/10/09(火)

    ■久しぶりの銀座での再会
     今日は朝8時半に共済病院の歯科に出向き、術後のフォローをしてもらいました。その後、役所で会派のミーテイングを済ませ、お昼のJAL便で上京致しました。ちょうど平口代議士と乗り合わせて、月末の親戚会に出席出来ない事を直接お詫びする事が出来ましたが、代議士もお忙しい事です。明日夕刻また広島に帰る予定だそうです。浜松町で平口さんと別れて、私は大崎のホテルにチェックインしましたが、まもなく大之木雄次郎さんから電話があり、銀座7丁目の嵯峨野という料理屋を予約しているので6時半頃会いましょうという事でした。住所と電話番号、ビルの名前だけ聞いておき、5時40分頃、ホテルを出て目の前の大崎駅から山手線に乗り、有楽町で下りて銀座方面に向かって歩きました。銀座8丁目を過ぎて7丁目に入りましたので、番地やビル名をしっかり見ながら歩いてゆきますと、すぐ目の前に目指すビルが現れました。初めてのお店ですが、全く迷う事なく来れて予定より早く着き、大之木さんを待つ事しばし、一人焼酎のお湯割りを飲んでおりました。

     しばらくして大之木さんより電話が入り、「もう着いているんですか、すぐ行きます」との事、待つ間に高校の後輩である泉さんに電話をかけましたら、既に幹部学校を出て帰宅途中との事、しかし「すぐ引き返すのでどちらですか、銀座7丁目に着いたら電話します」といって電話を切られました。どうも電車の中のようでした。大之木さんも現れて、一緒に酒を酌み交わしていると、泉さんから電話、「今銀座7丁目の丸源21ビルの前です」。お店の方に聞くとすぐ横の角を曲がったところだというので、私が迎えに出る事に致しました。店の前に出るとすぐ解りました。久し振りの再会です。舞鶴勤務の時にぜひ来る様に言われていたのですが、果たせませんでした。幹部学校の校長に赴任されて初めての再会です。お元気そうで何よりです。先程は気づきませんでしたが、嵯峨野のビルの前に竹川画廊というのがあります。銀座7ー7ー7という番地です。トリプルセブンですし、なんせ竹川画廊です。珍しいのでチョット見せてもらい、名刺交換を致しました。向こうも驚いておられました。その後は嵯峨野に戻り、3人で本当に楽しく、おいしい酒を飲みました。お互い明日も早いという事でもう一軒だけチョコット寄って別れましたが、今宵は本当に楽しい再会でした。
  2007/10/07(日)

    ■第32回仁井岡杯ソフトテニス大会
     今日は9時から仁井岡杯ソフトテニス大会です。私は大会副会長として開会式に参加させて頂きました。呉市ソフトテニス連盟が主催する大会に、個人の冠を冠した大会が二つあります。一つは春に行われるナカ杯です。今ひとつが今日の仁井岡杯です。お二人とも呉の、いや広島県のソフトテニス界に大きな足跡を残されました。仁井岡先輩は、あえて先輩という風に言わせて頂きますが、私の母校「呉宮原高校」の同窓会の会長を長い間やっておられました。ご自身が経営されていた東方金属にはテニス部をおかれ、山田・右近等、当時日本のトッップ級の選手を擁しておられました。現在の日新製鋼の前身・日亜製鋼を呉に起こされたのも先達・仁井岡先輩等の力に寄るところ大でした。呉市が今アメリカのブレマトン市と姉妹縁組みをして高校生の相互交換が連綿と続いているのも、仁井岡先輩があっての事です。ロータリークラブのガバナーとしてのご活躍も目覚ましいものでした。スポーツ界、産業界、奉仕の世界、まさに先達・仁井岡先輩と言えるでしょう。

     そんな仁井岡先輩の事を思い起こしながら、開会式に臨み、その後の試合を観戦させて頂きました。広島を始め県下各地から多くの選手が集まってこられての大会でしたが、冠の仁井岡先輩の事を知る人は本当に一握りでしょう。でも仁井岡先輩が天上から見守っておられるのでしょう、大会は素晴らしい日和でしたが、ほぼ終える頃パラパラと雨が落ちて参りました。

     東京の方では福田内閣が発足したばかりだというのに、衆議院12月解散説が流れてきました。それぞれ思惑があっての事でしょうが、「まさか」という事があります。小泉元総理の言葉ではないですが、「人生、上り坂もあれば下り坂もある。ま坂という坂もある。」常在戦場という事を言われたのか、あっという間に出来上がった福田内閣の事を言われたのか、圧倒的に優位なポジションに立っておられた麻生前幹事長の事を言われたのか、郵政解散の事を思っておられたのか、知る由もありませんが、いずれにしても政界は一寸先は闇・常在戦場です。毎日全力を尽くす、人事を尽くして天命を待つ・・・・これしか無いでしょう。私も寺田代議士の応援団の一員として観念論ではなく、具体的な行動計画を立てて、即行動に移すという事を、自身に言い聞かせております。
  2007/10/06(土)

    ■秋の親子大運動会
     スポーツの秋です。9時半から焼山みどり幼稚園の運動会に行ってきました。第30回です。節目の大会です。牧師先生とは呉ワイズメンズクラブを立ち上げた時からのお付き合いで、日頃大変お世話になっております。この度、理事長が交替され関東から伊藤新理事長が赴任されました。初めての名刺交換でしたが、心機一転、園の為に頑張って行かれるとの事、私も出来うる限り応援してゆきたいと思っております。

     本当に園児皆さんの行いが良いんでしょう。最高の運動会日和です。就学前3年間の子供たちですが、元気一杯にテーマソング「あつまれ!笑顔」を歌って運動会はスタート致しました。私はこのあと広島で会合がありましたので11時頃、会場を後に致しました。

     今度は運動靴を革靴に履き替えて、リーガロイヤルホテルです。防衛大臣政務官・衆議院議員 寺田稔先生を励ます会への出席です。本当にたくさんの方がお集りでした。来賓ご挨拶の中では、それぞれが寺田代議士の真摯な勉強ぶりや、防衛問題のみならず、あらゆる場面で驚く程の博識と政策力を披瀝される事に賞賛の言葉があふれておりました。必ずや将来は日本を背負う立場に立たれるであろうとのお話が大方でした。その中で熊本選出の坂本代議士が、落選時代を含めて、いつも声をかけて頂いていた、政策力だけでなく非常に人情味の厚い方であるとのお話をされました。寺田代議士の一面を見た感じです。嬉しくなりました。

     発起人代表の保田博さんにも、来週には東京でお会いする事になっておりましたが、今日もお会い出来ましたし、ベンダ工業の黒瀬工場オープニングに出席をお願いしていた東広島市の蔵田市長にもお会い出来、色んな話をさせて頂きました。平口洋代議士には月末の親戚会「平口親和会」に出席出来ない事をお詫びさせて頂きました。実は議員になる前に勤めていた三建産業の中国現地法人の記念パーテイーに出席する事になっており、上海、審陽に出かける為です。カメリア会の小松さん、船橋さんにもお会いしました。船橋さんには私の「白板症」を見つけて頂き、共済病院の口腔外科のご紹介を戴きました。執刀いただいた東森ドクターや富本さんに大変お世話になり、無事帰って来た事を報告させて頂きましたが、今日お会い出来た事を大変喜んで頂きました。所用を済ませて夕刻帰宅致しますと、船橋医院より快気祝いのお花が届いておりました。早速歯科の方の院長に御礼のお電話をおかけ致しましたが、共済病院からの報告で経過も結果も聞いてはおったのだが、直接私と話が出来て安心したと、ことのほか喜んで頂きました。本当に有り難い事です。

     夕食を済ませて、本日最後の仕事、熊野の友人の家で打ち合わせです。全て済ませて9時半頃には帰宅致しました。二河峡ゴルフの明かりが目に入って参りましたが寄りたい気持ちをグッとこらえての帰宅でした。スポーツの秋、ゴルフも腕が鳴ります。14日には宮原会のコンペがあります。それまでには少し肩ならしをしておきたいと思っております。食欲の秋、読書の秋、・・・・の秋、色々ありますが、私にはスポーツの秋、「ゴルフの秋」が一番です。今月も東京、山陰、上海、審陽と出かける予定が沢山ありますので、体調管理だけはしっかりやっておきたいと思っております。
  2007/10/01(月)

    ■本年度も下期に突入
     光陰矢の如しと言いますが、誠に早いもので平成19年度も今日から下期です。今日は、呉市にとっては市制施行105周年の記念日です。13時30分から文化ホールで式典は始まりましたが、ちょうど国会では福田新首相の施政方針演説が行われました。呉では小村市長の記念日における式辞が発せられました。国においては背水の陣内閣と総理ご自身が言っておられますが、ねじれ国会の中で社保庁の問題、テロ特措法の問題、色々大変です。小泉、安倍と続いた改革路線が軌道修正されるのか。手堅い手堅いと言われますが確かにアピールするものが伝わって参りません。この内閣は国をどういった方向に導くのか・・・・。しばらく様子を見なければならないでしょう。かたや呉市も財政改革を宣言された小村市長、どなたか来賓の挨拶にもありましたが、これからの舵取りー市長の手腕にかかるーことは言うまでもありません。

     郵政民営化もスタート致しましたし、阪神、阪急のデパートの統合もスタート致しました。個人的な私の廻りにおいても、友人が取締役に就いたり、社長に就任したり、お子さんが結婚なさったり、入院された方もおられれば、退院された方もおられる。誠に残念ですが海難事故など悲しい出来事もありました。そんな中である一冊の本が送られてきました。ジェリー・ミンチントン著「うまくいっている人の考え方」という本です。送ってこられた人のコメントに41章の「どんな出来事も、いいほうに解釈する」という項が好きであると書いてありましたので、そこから読み始めました。41章の最後の3行にはこう書かれておりました。「自尊心を高めるという観点からすれば、身の回りのすべてのことにプラス面を見出す事はさらに重要だ。あらゆる状況におけるプラス面に目を向けるよう努めれば、被害者意識がなくなり、建設的な人生を切り開く事ができる。」と。
  2007/09/12(水)

    ■安倍総理辞任
     今日の呉市議会は10時から幹線道路特別委員会、午后1時からは予算特別委員会でした。食事を済ませ1時からの会議に向けて待機していたところへ、大変衝撃的なニュースが飛び込んで参りました。安倍総理の辞任です。昨日、所信表明演説を済ませ、いよいよ各党の代表質問を受けるというまさにその直前の事です。理由は何だ、何かあったのか、国会に空白が・・・・・。自民党の総裁選挙はどんな段取りか、全党員参加は時間がないため無理だろう、国連総会に間に合うのか、それこそ色んな事が頭をよぎりました。それにしてもなぜ今日のこの時に、タイミングが悪い、政権を投げ出した、と批判される事は免れないでしょう。山口からの総理だし最も若くしての就任だったし、期待していたのですが、誠に残念です。

     わずか5回の衆議院当選ですし、官房長官以外は大臣の経験もなく、一気に総理に駆け上られた訳ですが、修羅場の経験が無く、土俵際の踏ん張りが利かなかったという事でしょうか。

     夕刻、東京から来た大学の後輩に阪急ホテルで会いました。彼は大手の新聞社に就職したんですが、その彼からの情報によると、週刊誌から脱税の取材申し入れを受けていたそうです。どうも15日発売の週刊現代にその記事は載るようです。体調も崩されていたようですし、シドニーで海自の給油活動は職を賭してでも継続すると言明されましたが、民主党の態度は硬く、小沢さんからは民意を反映していないとまでいわれ、健康状態は極限状態に陥っておられたのでしょう。

     それにしても組閣されたばかり、実力者を配した内閣への期待は大きかったのですが。誠に残念です。臨時国会の真っ最中です。しかし次の首班、内閣がスタートするまでニッチもサッチもいきません。政治に空白は許されないとはよく言われますが、タイトなスケジュールの中、最短で正常な軌道に戻して頂きたいと思っております。

     自民党の内部手続き、総裁の選出。国会の手続き、総理の選出。組閣、内閣のスタート、国連への出席。針の穴を通す様な日程です。その設定や準備される事務方の人々、政治的な判断をされる方々、ものすごい作業が今始まりました。その事に携われる方達がいる事を忘れずに、固唾をのんで見守りたいと思っております。
  2007/09/09(日)

    ■気持ちのよい汗
     午前8時、ひばりケ丘の公園に定年を過ぎた5名(正確には1名現役)の男が集まりました。手に手にカマやノコを持っての参集です。実は以前の自治会の会合で集まった時、「団地の中も雑草がはびこって来たですねえ、少しきれいにしませんか。」リーダー格のWさんの声かけがスタートでした。月に一回程度、来れるものだけで路端の草むしりから始めようという事になり、その日がやって来たのです。団地の玄関口である入り口道路から取りかかる事になりました。

     市に植えてもらった7本の桜も1本も枯れる事なく、今やかなりの大木になり毎年沢山の花をつけてくれます。その下草を始め道路の両サイドの雑草を刈る事約3時間、朝とはいえびっしょりと汗をかきました。まさに雑草との戦いでした。戦い終えて飲んだ1杯の麦茶のおいしかった事、最高でした。次回は10月の第4日曜日に実行する事を決めて散会致しましたが、本当に気持ちのよい朝でした。ここの団地は本当に皆で団地を作ってゆくんだという気概の人が、多い様に思います。夏の盆踊り、秋祭り、お年寄りとともに過ごす「憩いの部屋」・・・・・本当に皆さんで企画し、参加、実行されます。誇らしい団地に育って来ていると思います。

     今日の草刈りは、ほとんど声かけをしていないので5名のスタートでしたが、口コミで少しずつ参加者が増えてくる事でしょう。だって団地はきれいになる、参加者は爽快な気分になる、普段使わない筋肉を使う・・・・・いい事ずくめなんですから。
  2007/09/05

    ■呉市財政集中改革宣言
     今週月曜日から始まった9月定例会も本日で3日目。本日は議案質疑の後、議案はそれぞれ所管の委員会に付託されました。午后1時からは議員全員で構成される議会協議会が開かれ、小村市長から呉市財政集中改革宣言が出されました。本年6月に制定されたいわゆる地方公共団体の財政の健全化に関する法律に照らすと、このままでは呉市も第2の夕張に陥るという事で、平成20年から24年までの5年間で集中的に健全化に取り組んで健全財政の呉市を取り戻すという宣言です。

     今日は骨太の取り組み方針が示されましたが、健全化への取り組み項目の具体的なリストアップ等は今からです。職員も平成19年度2528人(水道、交通をのぞく)を平成14年には2100人体制にして人件費を抑制する等が発表されましたが、退職者を待って採用を抑える事によっての減員です。もうひとつ5年を待たずして強い意志を持って減員に取り組み、本当にこのままでは第2の夕張化が避けられないのであれば、全ての施策の立案、実施をスピードアップするべきではないでしょうか。あくまで強い意志を持ってです。議会も市民も共感して、同じく出来る事をやる。そういった共感が生まれる様な執行部の目に見える立ち振る舞いが必要ではないでしょうか。

      いたずらに不安をあおるのではなく、全てを開示し、全市民が共通の認識を持ち、一つになって立ち向かえば、蓄積された呉市の底力は、すごいものがある事を私は確信しております。恐らく明日の新聞は呉市のこの宣言の記事が踊る事でしょうが、道は必ずあります。呉市民総員がそれぞれの立場で、為すべき事を為せば恐れる事はありません。もちろん宣言を発せられた小村市長には先頭に立って頂き、強いリーダーシップを発揮していただくことは当然ですし、強い意志を発揮して頂きたいと思っております。

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