コラム

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こちらでは、私 竹川和登が出会い、目にしたもの感じたことを直感的に書き綴っています。
  2006/10/31(火)

    ■平成18年度道路関係秋期要望会
     今日は午後広島国道事務所を皮切りに中国地方整備局、県議会議長、県知事、土木部長、都市部長、最後に西日本高速道路株式会社中国支社へ、要望活動をいたしました。東・呉道路、国道185号線(呉ー安浦間)、休山新道4車線化、国道487号線、安芸灘諸島連絡架橋、呉平谷線、およびクレアラインの利用促進についてです。呉市長を先頭に江田島市長や近隣の首長、議長とご一緒いたしました。たっぷり4時過ぎまでかかりましたが、東広島ー呉自動車道については、かなり国交省においても予算を重点配分していただいているようでした。道路特定財源の堅持については、地方の道路整備促進の立場からしっかりと主張して行かねばなりません。東京の本省に対しても後日しっかりと要望して参ります。

     夕刻6時半からはアルサイトの垰会長を始め5名程で私のお祝会を、開いていただきました。2次会を含めてなんとか今日のうちに終わりましたが、いよいよ明日からは11月です。今年も残すところ後2ヶ月。本当に早いものです。時を追っ掛けるならいざ知らず、追っ掛けられる様な事はぜひ慎みたいものです。
  2006/10/30(月)

    ■寺田稔衆議院議員「呉フォーラム2006」開かれる
     今日は9時から会派の月曜ミーテイングでした。臨時議会の件や、梶山議員の12月定例会での代表質問等を話し合い、約1時間で散会。その後は、色々と所用を済ませました。広島での打ち合わせも済ませ、夕刻6時からはクレイトンベイホテルであった寺田稔衆議院議員「呉フォーラム2006」へ参加いたしました。約1時間前から出かけておりましたが、大変大勢の人にお集まりいただき、本当に嬉しくなりました。東京からの楠秘書をはじめ、ご無沙汰している皆様に声をかけていただき、今回の盛況ぶりを喜び合ったものです。衆議院は「常在戦場」常日頃からしっかり地元を固めておかねばなりません。その為にも東京での評価は抜群の寺田代議士が、後顧の憂い無く国家の為に活躍出来るよう、廻りの我々がしっかりと支えて行かねばと、改めて肝に銘じたフォーラムでした。

     午後7時からは、ひばりケ丘の川崎様のお父様のお通夜です。チョット遅れましたが、シテイホールへ急ぎ焼香を済ませて、ご挨拶をさせていただきました。その後フォーラムにご参加の方々と合流、これからの政局や経済の話を聞かせていただいて、大変参考になりました。広島市長選挙も話題に上りましたが、県議会では新田議長が今季限りで引退され、岸田代議士の秘書を長く務められた藤本氏が後継として立候補されるそうです。あちこちで新旧交代の動きが出ております。確実に時は廻っているという事でしょう。肝に銘じて行動して行きたいと思っております。
  2006/10/29(日)

    ■第53回呉市体育祭開かれる
     今日は9時から第53回呉市体育祭の総合開会式が、郷原の総合スポーツセンターで開かれました。私も参加させていただきましたが、今年は市内の20の地域から約4000人が各種競技に参加されたそうです。秋晴れの絶好のスポーツ日和でしたが、私も開会式で挨拶した後は、公開演技のラジオ体操で体を動かし、分散会場のうちソフトテニスの会場・呉中央コートへ急ぎました。ちょうど準決勝で昨年優勝の音戸地区と昭和地区が激突しておりました。事実上の優勝戦という声も聞かれましたが、私は昭和地区の応援団。一般男子の相手選手は市役所対抗で我が呉市が優勝した時のエース平川さんです。この時ばかりはどちらも応援したい気持ちでしたが、我が昭和地区が勝ち決勝進出。決勝の相手は勝ち進んで来た警固屋チームです。今日、呉市体育章をお受けになった柳川さんがご指導なさっているジュニアの選手の層が厚く、接戦でしたが、昭和が制して優勝の栄冠をもぎ取りました。途中昭和体協の田口会長も視察に来られましたが、各種目の戦いぶりから今年度も総合優勝の感触が強まっているようでした。もし総合優勝という事になれば、呉市初の3連覇という偉業となる事でしょう。ともあれ清々しい秋のスポーツを満喫した一日でした。
  2006/10/27(金)

    ■来春の広島市長選
     今日は廿日市でのお葬式に参列させていただきました。新しい祭礼の会館で場所が判りづらいなと感じておりましたが、さすがナビの威力です。迷う事なくピシャッと到着いたしました。お葬式が済んで出棺となる訳ですが、故人のご意思で、ご自身を医学発展の為に献体なさるという事でした。出棺は出棺でしたが向かう先は斎場ではなく、広島大学医学部だったのでしょう。医学部差し回しの車でお供は一切なく、お一人で医学発展に役立つべく旅立って行かれました。私はこんな場面に立ち会ったのは初めての事です。きっと医学の為にご自身の体を提供された後は、その魂は天上で先に逝かれた有縁の方々から暖かく迎えられる事でしょう。そして残されたご家族を見守って行かれる事でしょう。「肉体は滅びるとも魂は永遠に」と言った言葉を思い起こしたお葬式でした。

     夕刻6時半からは呉森沢ホテルにおいて宮原会有志における私の祝賀会を開いていただきました。50数名の先輩、後輩が参集して下さいました。本当に和やかでアットホームな会合となりました。私は本当に幸せ者です。お世話いただいた発起人の皆様、自ら司会を買って出てくれた同期の住岡君、参加いただいた全員に深く感謝申し上げます。2次会は三軒程廻っての帰宅となりましたが、最後のお店に残っていたのは、同期の4人でした。奇しくも全員47年前の和庄中学校3年D組浜本先生のクラスに在籍したものばかりでした。こんな事ってあるんでしょうか。しかし事実はそうでした。今朝は、私が中学1年のときクラス担任の木谷先生(安芸津在住)からお手紙をもらいました。そのご返事に電話をかけて懐かしい先生とお話をさせていただきました。お手紙の内容と言い、お電話の語り口と言い本当に優しく暖かい先生です。来年は80歳になられるとの事でしたが、どうぞいつまでもお元気でいていただきたいと思っております。朝のスタートで、また夜のエンデイングで和庄中学校時代を思い起こさせた一日となりました。

     来年の2月には広島市長選挙があります。私の所属する自民党はここ数回、市長選で敗れております。太田さんが立候補された時は、いろんなご縁で一生懸命応援させていただきましたが、残念な結果になりました。来年は保守系が一本化しての統一候補を目指して調整が進められておりましたが、現参議院議員の柏村武昭氏が出馬を固められたようです。友人に多くの広島市議がおりますが、市政の運営は、これまでなかなか大変だったようです。柏村氏は私と同じ昭和19年生まれ、同じ早稲田のご出身です。自民系が一丸となって、ぜひ来年は市長の座を奪還したいものです。
  2006/10/26(木)

    ■海上自衛隊呉教育隊
     今日は10時から海上自衛隊の呉教育隊において、第344期練習員課程の入隊式があり、出席させていただきました。この344期は本当に全国から選抜されております。三重県以外全ての都道府県から来ておられるそうです。中にはご家庭を持ちながら、かつはるかに高給をとりながらの会社勤めをお辞めになって、国に貢献したいとの思いから奥様の理解を得て、志願、見事合格なさった方もおられるそうです。そんな事を聞いて多少、目頭が熱くなりました。入隊式はいつもながら重々しくも、清々しいものでした。若き新人達の前途に栄光あれと叫ばずにはおれない気持ちです。壇上から、そんな気持ちを込めて祝辞を述べさせていただきました。

     夕刻6時半からは市役所ソフトテニスクラブの県下対抗試合の祝勝会兼私の祝賀会が中通「よしゃこいや」で開かれました。市役所テニスクラブは間違いなく合併効果が出ております。音戸町を始め周辺町の職員の方々に非常にレベルの高い選手がおられる。その方達の活躍で、県下市役所対抗で優勝する事が出来ました。まさに即、合併効果が出たという事でしょう。連日、楽しい集いにお誘いいただいております。
  2006/10/24(火)

    ■第27回私立幼稚園PTA連合会 親睦体育大会
     今日は朝9時から私立幼稚園PTAの方々が集まっての親睦体育大会です。場所は二河の陸上競技場、秋晴れのさわやかな天気でした。市内の幼稚園からお母さん方が、多く参加され、開会式では私も来賓祝辞を述べさせていただきました。久しぶりにラジオ体操第一をやらせていただきましたが、思い切って手足をのばすのは、本当に気持ちのよいものです。あのラジオから流れて来る声「手を腰に当てて、背伸びの運動、イチ、ニ・・・」何時聞いても、歯切れよく体が動いて行く懐かしいものです。子供の頃、体で覚えたものは本当に自然と出て参ります。チョット残念だったのは、国旗「日の丸」の掲揚の時、国歌が流れましたが歌っている声が非常に小さかった事です。来賓席からの声が聞こえて来るくらいで、会場一杯と言った感じではありませんでした。海外に行くと自国の国旗、国歌に対する真摯な態度は、本当に日本でのそれとは全く違います。私はインドネシアに行った時、我が国旗「日の丸」がやはり私たちを守ってくれているんだなといった経験をいたしました。何名かバスでの移動のときです。その頃はインドネシア国内は政情が少しばかり不安定な時でした。バスに石を投げられるかもしれないといった情報がありましたが、日本国旗「日の丸」をバスに掲げて走ったところ、なんと沿道のインドネシアの方々は、手を振って下さいました。本当にあちこちから笑顔で手を振って下さいました。街道沿いにはインドネシアの国旗が、沢山旗めいておりました。公海上を走る船舶は当然の事、自国の国旗を掲げております。今日の幼稚園の体育大会で国旗・国歌について、色々な事を思い起こし、また考えさせられました。
  2006/10/22(日)

    ■第30回全国育樹祭開かれる
     今日は皇太子殿下をお迎えして広島空港近くの県立中央森林公園で、第30回の全国育樹祭が開かれました。本当にさわやかな秋晴れに恵まれた素晴らしい大会になりました。平成7年に第46回全国植樹祭の会場として天皇、皇后両陛下がお手植えになったアラカシとイロハモミジの2本の樹に、皇太子殿下が施肥を行われるという育樹の式典です。各地から多くのみどりの少年団の参加を得て色々と工夫された、明るい日射しの中での誇れる大会になりました。皇太子殿下お発ちの際は、私の座っている席のほんの2メートル程前を通って行かれました。日の丸の小旗を振ってお見送りいたしましたが、さすが国民統合の象徴となられるお方の立ち振る舞い、周辺の凛とした雰囲気、重々しくも清々しいものを感じました。本当に良い体験をさせていただきました。

     午後5時からは第40回呉地区柔道大会の懇親会です。参席させていただき、乾杯の音頭をとらせていただきましたが、ここでも懐かしい方々とお会い出来、感謝しております。とりわけ宮原高校で校長をしておられた小田原先生とは、同じく教職に就いていた私の親戚のものが同級生であり、とりわけ仲が良いとのお話が飛び出して、いささか驚きました。自衛隊の柔道の猛者、遠くからの参加者、色々な方とお話をさせていただきました。
     
     少し早めに抜け出して、所用を一件済ませ、黒瀬に向かいました。友人の池本賢治君の火事見舞いです。類焼もなく、中におられた息子さんもご無事だったという事で一安心です。お互い来春の統一地方選挙にチャレンジする身です。心身に気をつけて共に戦い抜く事を、励まし合って別れましたが、思いの外元気そうだったので安心いたしました。
  2006/10/21(土)

    ■楽勝山安楽寺第五世住職継承
     今日は安楽寺の住職継承と鐘楼や経蔵の落慶法要の日です。安楽寺は私の事務所近くの伏原にあります。第四世住職の信楽峻麿先生は龍谷大学の学長を務められた方です。第五世住職は明立小学校のPTAのお世話をされており、よく色々とお話をさせていただいておりました。私も午後5時からの祝賀会に参席させていただきました。本願寺の元総長武野以特先生や広島別院輪番の富永真秀先生等と同じ席で、少なからず緊張いたしましたが、法専寺の毛利住職や大心寺の高田住職、信楽寺の久保住職がご一緒で心和む会話になってホッとしておりました。

     あちこちの席にはご近所の方が門信徒として参席しておられ、久しぶりの方ともお会い出来、これも何かの法縁かなとも思ったりいたしました。いずれにしましても信心の薄い私としては仏教伝来から今に至るまでの各宗派の流れがよく理解出来ておりません。大乗、小乗、各本山の言われ、もう一度おさらいをしておきたいと思っております。
  2006/10/20(金)

    ■議員会館挨拶回り
     衆議院の第一、第二、参議院議員会館を廻らせていただきました。各事務所ともアポイントは取っておりませんでしたので、大方の事務所は秘書の方に言付けをしての訪問でしたが、増原代議士は部屋におられまして、久しぶりにお会いいたしました。私が勤めておりました三建産業の万代社長と高校の同期という事もあって、よくお会いしておりましたが、先頃、三建産業の現地法人がある中国の審陽に行ってこられたそうです。審陽の公司には三建で後輩の塩本君が社長として赴任しております。彼が社長の間に私も行ってみたいと思っておりますが、どうやら増原代議士に先を越されたようです。楽しい話を聞かせて戴きましたが省庁のお役人が、先に面談されていたところに、割り込んだようだったので、早めに切り上げさせていただきました。その後、本当に珍しい人を訪ねました。呉市に助役で赴任されていた国土交通省の沼田さんです。外郭団体に出ておられましたが、少し体を壊されたご様子でした。でも大変懐かしく色々な話をいたしました。五反田の谷川事務所も尋ねましたが、大木女史が、すぐ谷川先生にご連絡され、お電話で懐かしいお声を聞かせていただきました。広島県の東京事務所にもお寄りしました。桂木所長さん以下事務所の方にご挨拶いたしましたが,厚生労働省担当の若林美和福祉保険課長は、なんと宮原高校の後輩なんだそうです。嬉しい事に名刺は大和ミュージアムに展示してある零戦の写真をあしらったものでした。故郷を大切に思っていただいている気持ちが伝わってくるのを感じました。今日も一日あちこちをご挨拶して廻りましたが、色んな発見と出会いをさせていただきました。本当に有り難く思っております。
  2006/10/19(木)

    ■東京で基地協議会正副会長・監事・相談役会に出席
     今日は出雲空港からJAL便で上京いたしました。お昼前には羽田についておりました。呉市の東京事務所にお邪魔して、3時からは都市会館で会議です。来年度の基地対策関連の予算要求についてがメインのテーマです。総務省から関固定資産税課長、防衛施設庁から辰巳施設企画課長をお迎えしてレクチャーを受け、要求を取りまとめましたが、全体の予算編成の中では、なかなか厳しいものを感じております。夜は防衛関連の国会議員を囲んで懇談会が開かれました。歴代の防衛庁長官の経験者も出席され、それぞれ基地対策予算の獲得に向けてお考えを披瀝されました。大野功統先生、山崎拓先生、石場茂先生、斉藤斗志二先生、鳩山邦夫先生、林芳正先生等等、多くの国会議員、それにかつて財務省で防衛担当の主計官を努められた我が寺田稔先生も、もちろん参加です。基地協議会会長の東京都福生市の石川議長も、ことのほか寺田代議士を頼りにしておられました。斉藤先生や鳩山先生の奥様は呉市のご出身ですし色々親しくお話をさせていただきました。会議が終わってからは、新ダイワ工業で営業本部長をしている友人の庭木岳文君や溝手国家公安委員長の小川秘書官等と合流して、新橋、赤坂で久しぶりに夜の東京を楽しみました。議長になってから初の上京です。明日は議員会館の挨拶回りの予定です。
  2006/10/18(水)

    ■中国市議会議長会松江市で開催
     今日は9時から役所で所用を済ませ松江に向かいました。第119回中国市議会議長会臨時総会に出席の為です。来月東京で開かれる全国市議会議長会に提出する議案のとりまとめですが多くの案件の中から、少子化対策と山陰自動車道の整備促進に集約されました。また広島県各市からの提案で北朝鮮の核実験に対する非難決議が上程され、全会一致で可決されました。この決議については、数日前に庄原の谷口議長から電話でご相談を受け、広島県が一丸となって提案すべきであると意見を申し上げ、広島市にリーダーシップをお願いしておいたものです。無事議決されホッとしております。久しぶりに福山の蔵本議長にもお会いしました。彼とはサラリーマン時代に仕事で関わりがあったのですが、今年の6月、再び議長ポストにつかれたんだそうです。色々旧交を温めて、本日は松江に泊まりました。宍道湖を眺めながらの落ち着いた町並みの中で、久しぶりの松江の夜景を楽しませていただきました。
  2006/10/17(火)

    ■政治倫理条例の勉強
     16日と17日は呉市政治倫理条例の制定に向けての会派の研修です。白山市と敦賀市を訪問、色々と説明を受けました。特に白山市においては議員のみならず職員の倫理条例についても詳しく説明を受けました。色々と難しい問題もあるようです。これを参考にして、私達も真剣に取り組んで行く為の糧にしたいと思っております。

     水交会誌に寄稿する原稿の締め切りが今月20日です。明日からまた出張なのでどうしても原稿をあげておかなければなりません。夕食を終えてから取りかかりましたが、書き終えたのは、午前2時を回っておりました。でもまあ、なんとか約束は果たせそうです。明日、担当の理事さんに渡すことが出来るでしょう。
  2006/10/15(日)

    ■朝鮮通信使再現行列(下蒲刈島)
     今年で4回目となる朝鮮通信使の再現行列の出発式に参加いたしました。秋晴れの良い天気に恵まれ、今年も韓国の心印高等学校の生徒諸君の参加も得て、非常に盛大に行われました。私も来賓として出発式で挨拶をさせていただき、出発を見届けてからは、予定していた出張のため呉に引き返しました。呉市倫理条例制定に向けての先進市への勉強です。またまた今日から多忙な一週間が始まりそうです。
  2006/10/14(土)

    ■朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会呉・下蒲刈島大会
     今日は行事が色々ありました。まず9時からは大和ミュージアムです。YACの今月のプログラムは紙飛行機製作です。昼まで子供達と一緒に紙飛行機の作り方を教わりました。みんなで飛ばすまでには至りませんでしたが、12時からは呉市職員労働組合の60周年記念レセプションに出席させていただきました。一口に60年と言いますが昭和21年組合結成間もなくゼネストに突入、一方24時間勤務というとてつもない方法でストライキを戦い抜いたという歴史を初めて知りました。自治労の中でもとりわけ伝統ある組合だったようです。

     3時からは朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会呉・下蒲刈島大会の開会です。京都府立大学名誉教授の吉田宏志先生による基調講演や朝鮮通信使研究の第一人者京都造形芸術大学客員教授仲尾宏先生や梅花女子大学教授の高正晴子教授、それに基調講演をやられた吉田先生による鼎談「交流のなかの文化と食」等があり、なかなかアカデミックなものでした。次回開催地の彦根市と静岡市の市長の挨拶があり式典は終了、18時30分からは懇親会です。私も乾杯の音頭をとらせていただきましたが、その中で韓国の心印高等学校の吹打隊の皆様に感謝と歓迎を込めてハングルで紹介させていただきました。

     懇親会も終わり、縁地連参加の呉史談会の皆様と呉の街に繰り出しました。初日の大行事を終え、ホッと一息といった楽しいお酒になりましたが、明日の下蒲刈でのフィールドワークもある事ですし早めに切り上げ帰宅いたしましたが、それでも11時は廻っておりました。釜山の大会、対馬の大会、と参加させていただき、今年は呉大会、無事済ませて、来年の彦根、静岡大会もぜひ参加したいものです。
  2006/10/11(水)

    ■(社)瀬戸内海小型船安全協会第3回理事会開かれる
     今日は所用で郷原5地区の自治会長を尋ねました。色々打ち合わせを行い、11時から豊田医院へ移動、所用を済ませて午後1時30分からは宇品の港湾合同庁舎で開かれた、本年度第3回の社団法人瀬戸内海小型船安全協会の理事会に出席いたしました。2本の議案を審議可決いたしましたが、私としては仁田会長から岩田会長に変わってからの初めての理事会でしたし、第6管区海上保安本部交通部からの3名の来賓にも、ご挨拶出来、誠に有意義なものでした。隣の席は社団法人中国船舶職員養成協会の上椙輝之理事長でしたが、聞けば小村市長と中国運輸局で同じ時期に部長をしておられたという事で、よろしく伝えて下さいとの事でした。今度会長に就任された宮島ボートの岩田会長とはフリートのレースでよくご一緒しておりますし、本当に世の中狭いものです。

     4時半頃、会議を終えて、もう一件の打ち合わせを済ませ、呉に向かったのは午後8時頃でした。ラジオでは北朝鮮の核実験に対する制裁問題について、色々と報じられておりましたが、2回目の実験はどういう事だったんでしょうか、どうもガセネタだったようです。ともあれ世界の制裁が厳しくなればなるほど、北はどう対応してくるのでしょうか。中国までもが厳しい態度に出れば、北は八方ふさがりだと思うんですが。破れかぶれという事にならなければ良いんですが。目が離せない数日間となりそうです。
  2006/10/09(月)

    ■義兄の墓参り
     春先に逝った義兄の墓参りをしました。山口県議会の副議長をされた義兄のいとこの桑原さんの選挙参謀を、長くやっていたので、私の事もよく気にしてくれていました。早速墓前に跪いて、議長になった事を報告いたしました。廻りの田んぼには、赤とんぼが沢山舞っておりました。
  2006/10/08(日)

    ■中本金太郎氏逝く
     今日は中本金太郎氏のお通夜です。昨夜から連絡を受けておりました。同じ池田系列として何度かの衆議院選選挙で、色々とご指導を受けておりました。またご子息の和成氏とは同じワイズのチャーターメンバーとして毎月、会合でご一緒でした。あのひょうひょうとした独特の語り口はもう聞けません。今夜の通夜ですが私は出席がかないません。実は山口県にいる立った一人の姉が弱っているんです。もうすぐ84歳になるんですが、この春義兄を亡くし、片田舎に一人で住んでいます。私とは親子ぐらい年が離れています。間に3人の兄がいますが、なんと言ってもただ一人の姉です。母親がわりの様なもんです。明日からの中国温州行きも取りやめる事に決断いたしました。午後からは山口に向けて車を走らせる事にいたしました。

     その前に金太郎先生にお別れを言いに出かけましたら、県会の大山先生と城戸先生が棺のそばに座っておられました。大山先生のご実家は安芸津の大山旅館でしたが、実は私の勤務しておりました三建産業が戦後財閥解体で会社を興した最初の事務所が安芸津の大山旅館だったんです。その後広島に本社を移し、赤煉瓦の商いから耐火煉瓦へ、さらには工業炉メーカーへと発展して行った訳です。懐かしい大山先生です。ちょくちょく会社へ顔を出しておられましたし、私が市議会に出てからは同じ自民党ですから何くれとアドバイスを頂いておりました。和成さんを交えて明日のご葬儀の段取り等大山先生、城戸先生、和成さん、4人で色々話しておりましたが、私は山口行きが気になっておりましたので、事情をお話しして早めに失礼いたしました。金太郎先生と一緒に戦った池田代議士も、もはや鬼籍に入られましたし、この度は金太郎先生です。時代は確実に廻っているのを感じざるを得ません。

     山口には夜半に着きました。思いの外姉はしっかりしておりましたが、何しろ年ですし田舎の一人暮らしですから気にかかります。姉のところの子供達も徳山に3人住んでいますので、ちょこちょこ顔を覗かせるようです。私も2、3日姉のそばにいてやるつもりです。夜は冷え込みます。
  2006/10/07(土)

    ■広警察署管内交通安全大会開かれる
     朝晩、焼山はめっきり寒くなりました。お彼岸を過ぎて秋の気配を感じておりましたが、冬がもうそこまでやって来ていると言った感じです。今日は富士山が初冠雪したそうです。もう山小屋は店じまいしたそうですし、今月末には10センチを超える本格的な積雪になるそうです。いよいよ冬山到来という事でしょう。

     午前中は事務所に行ったり、市内で所用を済ませて、午後1時半からは川尻のベイノロホールで開かれた18年度の広署管内交通安全大会に出席させていただきました。交通安全に寄与された多くの方々、および団体が表彰を受けられましたが、とりわけ横路中学校3年の中村君の作文は、なかなかのものでした。ご父兄の車を提供される方々の「命を預かる真摯な態度」を知った時の中村君の心の動きがよく出ておりました。私も祝辞を述べさせていただきましたが、先般、お会い出来なくて、お手紙を頂いていた広署の吉村正署長にもご挨拶出来ましたし、久しぶりに会う各所のセンター長の方々にもお会い出来、本当に喜んでおります。

     明日からは安倍総理も中国、韓国を訪問され北京、ソウルでそれぞれ首脳と会談される事になっております。長らく途絶えていた両国との首脳会談が新首相の下で、いよいよ始動と行ったところでしょうか。私も来週は大変忙しくなりそうです。このコラムを書いている時に、中本金太郎先生の訃報が飛び込んで参りました。ご子息の和成氏とは、同じワイズメンズクラブのメンバーですし、呉バドミントン協会の会長として鎮海市のチーム来呉の際は、大変お世話になっておりました。お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
  2006/10/06(金)

    ■久しぶりの竹原市
     今日午前中は役所で来客や所用を済ませて、午後からは議長就任の挨拶回りで、残っていた東広島市と竹原市に出かけました。蔵田市長は先般、広島市でお会いしておりましたし来客中だったので、名刺のみ置かせていただきました。議会にも挨拶に行きました。議長は不在でしたが、取り次いで下さった庶務の係長さんが女性の方でなんと竹川さんというんです。以前広島の会合でお会いして名刺交換させていただいておりましたので、またまたお世話になりましたが、全く同じ苗字という事でチョット驚きです。簡単にご挨拶を済ませ、竹原に向かいました。こちらは小坂市長に時間を取っていただき、少しばかり懐かしいお話をいたしました。私がサラリーマン時代、よく三井金属竹原製錬所や東邦亜鉛契島製錬所に出向いていた頃のお話です。三井の特金におられ、後に市議会議員になられた中川文三氏のことも話題に上がりましたが先頃亡くなられたとの事でした。三井の正門の前の徳田商店のご主人で営繕関係の土建課長をしておられた徳田課長さん等、懐かしい名前が沢山出て参りました。契島に渡る際の契運のフェリーの話、懐かしい話題で一杯でした。小坂市長さんから友久助役をご紹介いただきましたが、なんとこの友久助役、呉市議会事務局の芝山局長と忠海高校で、同期なんだそうです。よろしく伝えて下さいとの伝言を託かりましたが、本当に色んな因縁があるもんです。市長室を辞去いたしましたら、玄関に寺田事務所の山元秘書が来ておられました。竹鶴先生の事務所にご案内いただき、伊藤秘書にご挨拶をして呉に帰って参りました。延べ4日程かかったでしょうか、一応これで東京を残して地元近隣の挨拶廻りは完了です。

     夜7時からはYACのリーダー会議です。次回のプログラム「紙飛行機製作」の事前準備です。まずは私達リーダーが紙飛行機をうまく折る事が出来なくてはなりません。テキストを見ながら折って行きましたが、いざテスト飛行となると宙返りしたり頭から突っ込んで行ったりなかなか大変です。しかし石原先生に尾翼をチョット上げるとうまく浮きますよとアドバイスを頂き、やってみると効果抜群、私が作った紙飛行機は本当にゆったりと宙に舞い、ゆっくり着地、その飛ぶ様は飛行船ツエッペリン号のようだといわれる程でした。リーダー達大人が童心に帰って一生懸命紙飛行機を飛ばしている風景は本当に微笑ましいものでした。これで14日の本番は大丈夫でしょう。それにしても重心の位置、紙の厚み、翼の面積、本当にチョットした違いで飛行はグッと違って参ります。本当に奥深いものを感じました。
  2006/10/01(日)

    ■市制施行104周年 呉市記念日式典行われる
     朝11時からは独立行政法人・国立病院機構・呉医療センターの創立50周年記念式典に参席させていただきました。なんと長い名前ですが、僕らがいつも呼んでいるいわゆる国立です。式典の挨拶の中で印象に残ったのは、来賓挨拶の中で大阪大学大学院医学部長遠山教授のものでした。厚生省関係の方がおられるのであえて言いますがと、前置きされて最近の医療法制度を痛烈に批判されました。医学界は冬の時代に入った。このままでは基礎医療の研究を続ける優秀な生徒はいなくなる。直近の医療も10年後の医療も我が日本は世界に遅れを取る・・・・・。挨拶の終わりにはピンチはチャンスともいえます、呉医療センターは、がんセンター・産科対応など多くの目玉を持って、さらに発展される事を祈っております、阪大もそれに協力したいといった内容でした。インパクトの有るものでした。先頃、呉共済病院院長の山木戸先生とお話しした時、これからの医療問題とりわけ産科医や小児科医の不足、のみならず全体的に恒常的に陥った医者不足等、広大の医学生がどこにいったか皆目追跡出来ていない。もちろん辺地には行っていない、医者不足の中、さらに医者の偏在が加速している、このままでは病院経営に重大な支障を来すといった事でした。その時のお話しとダブって聞かせていただきました。由々しき問題です。高齢化が進む中で日本の医療はどんな方向に進んで行くのでしょうか。もう一つインパクトのあったのは映像で綴る呉医療センターの歩みです。100年を超える歴史、海軍病院時代からの数々の写真、横綱の土俵入りや中国での事変で負傷した兵士の収容場面等、知らなかった多くの映像をみせていただきました。すごい歴史を持った素晴らしい医療センターが呉にはあります。今後とも中四国を代表するフラッグシップの病院として充実、発展される事をお祈りいたします。

     12時からは今回の組閣で国家公安委員長・防災担当の大臣に就任された溝手参議院議員との昼食会です。市制記念日の式典に呉入りされるという事で石崎幹事長が用意して下さいました。大臣は私より二つ年上ですが、私が自民党の青年議員連盟の役員をしていた頃から大変お世話になっておりました。とりわけ東京にいる小川秘書からは官邸の呼び出しがあったとき、電話を頂き、喜び合ったものです。本当におめでとうございました。

     呉市の記念日式典は午後1時半キッカリに文化ホールで始まりました。今年は壇上で議長として挨拶しなければなりません。少しばかり緊張いたしましたが、なんとか役目を努める事が出来、ホッとしております。どなたか朝の国立病院50周年式典で言っておられましたが、50年を機にさらなるスタートの年として下さいというのがありました。呉市も常に過去の実績の上に立って、未来に向けてのスタートを切りたいものです。

     夜は昨日から呉にお越しになっている鎮海市のノムヨンさんを囲んで焼き肉夕食会となりました。小人数の食事会で鎮海市のバトミントンチームに随行してこられた市役所のノさん、パクさんを慰労する楽しい酒盛りになりました。家路につく頃は秋雨がぱらついておりました。

     

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