こちらでは、私 竹川和登が出会い、目にしたもの感じたことを直感的に書き綴っています。 |
| 2006/10/31(火) |
夕刻6時半からはアルサイトの垰会長を始め5名程で私のお祝会を、開いていただきました。2次会を含めてなんとか今日のうちに終わりましたが、いよいよ明日からは11月です。今年も残すところ後2ヶ月。本当に早いものです。時を追っ掛けるならいざ知らず、追っ掛けられる様な事はぜひ慎みたいものです。 |
| 2006/10/30(月) |
午後7時からは、ひばりケ丘の川崎様のお父様のお通夜です。チョット遅れましたが、シテイホールへ急ぎ焼香を済ませて、ご挨拶をさせていただきました。その後フォーラムにご参加の方々と合流、これからの政局や経済の話を聞かせていただいて、大変参考になりました。広島市長選挙も話題に上りましたが、県議会では新田議長が今季限りで引退され、岸田代議士の秘書を長く務められた藤本氏が後継として立候補されるそうです。あちこちで新旧交代の動きが出ております。確実に時は廻っているという事でしょう。肝に銘じて行動して行きたいと思っております。 |
| 2006/10/29(日) |
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| 2006/10/27(金) |
夕刻6時半からは呉森沢ホテルにおいて宮原会有志における私の祝賀会を開いていただきました。50数名の先輩、後輩が参集して下さいました。本当に和やかでアットホームな会合となりました。私は本当に幸せ者です。お世話いただいた発起人の皆様、自ら司会を買って出てくれた同期の住岡君、参加いただいた全員に深く感謝申し上げます。2次会は三軒程廻っての帰宅となりましたが、最後のお店に残っていたのは、同期の4人でした。奇しくも全員47年前の和庄中学校3年D組浜本先生のクラスに在籍したものばかりでした。こんな事ってあるんでしょうか。しかし事実はそうでした。今朝は、私が中学1年のときクラス担任の木谷先生(安芸津在住)からお手紙をもらいました。そのご返事に電話をかけて懐かしい先生とお話をさせていただきました。お手紙の内容と言い、お電話の語り口と言い本当に優しく暖かい先生です。来年は80歳になられるとの事でしたが、どうぞいつまでもお元気でいていただきたいと思っております。朝のスタートで、また夜のエンデイングで和庄中学校時代を思い起こさせた一日となりました。 来年の2月には広島市長選挙があります。私の所属する自民党はここ数回、市長選で敗れております。太田さんが立候補された時は、いろんなご縁で一生懸命応援させていただきましたが、残念な結果になりました。来年は保守系が一本化しての統一候補を目指して調整が進められておりましたが、現参議院議員の柏村武昭氏が出馬を固められたようです。友人に多くの広島市議がおりますが、市政の運営は、これまでなかなか大変だったようです。柏村氏は私と同じ昭和19年生まれ、同じ早稲田のご出身です。自民系が一丸となって、ぜひ来年は市長の座を奪還したいものです。 |
| 2006/10/26(木) |
夕刻6時半からは市役所ソフトテニスクラブの県下対抗試合の祝勝会兼私の祝賀会が中通「よしゃこいや」で開かれました。市役所テニスクラブは間違いなく合併効果が出ております。音戸町を始め周辺町の職員の方々に非常にレベルの高い選手がおられる。その方達の活躍で、県下市役所対抗で優勝する事が出来ました。まさに即、合併効果が出たという事でしょう。連日、楽しい集いにお誘いいただいております。 |
| 2006/10/24(火) |
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| 2006/10/22(日) |
午後5時からは第40回呉地区柔道大会の懇親会です。参席させていただき、乾杯の音頭をとらせていただきましたが、ここでも懐かしい方々とお会い出来、感謝しております。とりわけ宮原高校で校長をしておられた小田原先生とは、同じく教職に就いていた私の親戚のものが同級生であり、とりわけ仲が良いとのお話が飛び出して、いささか驚きました。自衛隊の柔道の猛者、遠くからの参加者、色々な方とお話をさせていただきました。 少し早めに抜け出して、所用を一件済ませ、黒瀬に向かいました。友人の池本賢治君の火事見舞いです。類焼もなく、中におられた息子さんもご無事だったという事で一安心です。お互い来春の統一地方選挙にチャレンジする身です。心身に気をつけて共に戦い抜く事を、励まし合って別れましたが、思いの外元気そうだったので安心いたしました。 |
| 2006/10/21(土) |
あちこちの席にはご近所の方が門信徒として参席しておられ、久しぶりの方ともお会い出来、これも何かの法縁かなとも思ったりいたしました。いずれにしましても信心の薄い私としては仏教伝来から今に至るまでの各宗派の流れがよく理解出来ておりません。大乗、小乗、各本山の言われ、もう一度おさらいをしておきたいと思っております。 |
| 2006/10/20(金) |
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| 2006/10/19(木) |
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| 2006/10/18(水) |
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| 2006/10/17(火) |
水交会誌に寄稿する原稿の締め切りが今月20日です。明日からまた出張なのでどうしても原稿をあげておかなければなりません。夕食を終えてから取りかかりましたが、書き終えたのは、午前2時を回っておりました。でもまあ、なんとか約束は果たせそうです。明日、担当の理事さんに渡すことが出来るでしょう。 |
| 2006/10/15(日) |
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| 2006/10/14(土) |
3時からは朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会呉・下蒲刈島大会の開会です。京都府立大学名誉教授の吉田宏志先生による基調講演や朝鮮通信使研究の第一人者京都造形芸術大学客員教授仲尾宏先生や梅花女子大学教授の高正晴子教授、それに基調講演をやられた吉田先生による鼎談「交流のなかの文化と食」等があり、なかなかアカデミックなものでした。次回開催地の彦根市と静岡市の市長の挨拶があり式典は終了、18時30分からは懇親会です。私も乾杯の音頭をとらせていただきましたが、その中で韓国の心印高等学校の吹打隊の皆様に感謝と歓迎を込めてハングルで紹介させていただきました。 懇親会も終わり、縁地連参加の呉史談会の皆様と呉の街に繰り出しました。初日の大行事を終え、ホッと一息といった楽しいお酒になりましたが、明日の下蒲刈でのフィールドワークもある事ですし早めに切り上げ帰宅いたしましたが、それでも11時は廻っておりました。釜山の大会、対馬の大会、と参加させていただき、今年は呉大会、無事済ませて、来年の彦根、静岡大会もぜひ参加したいものです。 |
| 2006/10/11(水) |
4時半頃、会議を終えて、もう一件の打ち合わせを済ませ、呉に向かったのは午後8時頃でした。ラジオでは北朝鮮の核実験に対する制裁問題について、色々と報じられておりましたが、2回目の実験はどういう事だったんでしょうか、どうもガセネタだったようです。ともあれ世界の制裁が厳しくなればなるほど、北はどう対応してくるのでしょうか。中国までもが厳しい態度に出れば、北は八方ふさがりだと思うんですが。破れかぶれという事にならなければ良いんですが。目が離せない数日間となりそうです。 |
| 2006/10/09(月) |
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| 2006/10/08(日) |
その前に金太郎先生にお別れを言いに出かけましたら、県会の大山先生と城戸先生が棺のそばに座っておられました。大山先生のご実家は安芸津の大山旅館でしたが、実は私の勤務しておりました三建産業が戦後財閥解体で会社を興した最初の事務所が安芸津の大山旅館だったんです。その後広島に本社を移し、赤煉瓦の商いから耐火煉瓦へ、さらには工業炉メーカーへと発展して行った訳です。懐かしい大山先生です。ちょくちょく会社へ顔を出しておられましたし、私が市議会に出てからは同じ自民党ですから何くれとアドバイスを頂いておりました。和成さんを交えて明日のご葬儀の段取り等大山先生、城戸先生、和成さん、4人で色々話しておりましたが、私は山口行きが気になっておりましたので、事情をお話しして早めに失礼いたしました。金太郎先生と一緒に戦った池田代議士も、もはや鬼籍に入られましたし、この度は金太郎先生です。時代は確実に廻っているのを感じざるを得ません。 山口には夜半に着きました。思いの外姉はしっかりしておりましたが、何しろ年ですし田舎の一人暮らしですから気にかかります。姉のところの子供達も徳山に3人住んでいますので、ちょこちょこ顔を覗かせるようです。私も2、3日姉のそばにいてやるつもりです。夜は冷え込みます。 |
| 2006/10/07(土) |
午前中は事務所に行ったり、市内で所用を済ませて、午後1時半からは川尻のベイノロホールで開かれた18年度の広署管内交通安全大会に出席させていただきました。交通安全に寄与された多くの方々、および団体が表彰を受けられましたが、とりわけ横路中学校3年の中村君の作文は、なかなかのものでした。ご父兄の車を提供される方々の「命を預かる真摯な態度」を知った時の中村君の心の動きがよく出ておりました。私も祝辞を述べさせていただきましたが、先般、お会い出来なくて、お手紙を頂いていた広署の吉村正署長にもご挨拶出来ましたし、久しぶりに会う各所のセンター長の方々にもお会い出来、本当に喜んでおります。 明日からは安倍総理も中国、韓国を訪問され北京、ソウルでそれぞれ首脳と会談される事になっております。長らく途絶えていた両国との首脳会談が新首相の下で、いよいよ始動と行ったところでしょうか。私も来週は大変忙しくなりそうです。このコラムを書いている時に、中本金太郎先生の訃報が飛び込んで参りました。ご子息の和成氏とは、同じワイズメンズクラブのメンバーですし、呉バドミントン協会の会長として鎮海市のチーム来呉の際は、大変お世話になっておりました。お父様のご冥福をお祈り申し上げます。 |
| 2006/10/06(金) |
夜7時からはYACのリーダー会議です。次回のプログラム「紙飛行機製作」の事前準備です。まずは私達リーダーが紙飛行機をうまく折る事が出来なくてはなりません。テキストを見ながら折って行きましたが、いざテスト飛行となると宙返りしたり頭から突っ込んで行ったりなかなか大変です。しかし石原先生に尾翼をチョット上げるとうまく浮きますよとアドバイスを頂き、やってみると効果抜群、私が作った紙飛行機は本当にゆったりと宙に舞い、ゆっくり着地、その飛ぶ様は飛行船ツエッペリン号のようだといわれる程でした。リーダー達大人が童心に帰って一生懸命紙飛行機を飛ばしている風景は本当に微笑ましいものでした。これで14日の本番は大丈夫でしょう。それにしても重心の位置、紙の厚み、翼の面積、本当にチョットした違いで飛行はグッと違って参ります。本当に奥深いものを感じました。 |
| 2006/10/01(日) |
12時からは今回の組閣で国家公安委員長・防災担当の大臣に就任された溝手参議院議員との昼食会です。市制記念日の式典に呉入りされるという事で石崎幹事長が用意して下さいました。大臣は私より二つ年上ですが、私が自民党の青年議員連盟の役員をしていた頃から大変お世話になっておりました。とりわけ東京にいる小川秘書からは官邸の呼び出しがあったとき、電話を頂き、喜び合ったものです。本当におめでとうございました。 呉市の記念日式典は午後1時半キッカリに文化ホールで始まりました。今年は壇上で議長として挨拶しなければなりません。少しばかり緊張いたしましたが、なんとか役目を努める事が出来、ホッとしております。どなたか朝の国立病院50周年式典で言っておられましたが、50年を機にさらなるスタートの年として下さいというのがありました。呉市も常に過去の実績の上に立って、未来に向けてのスタートを切りたいものです。 夜は昨日から呉にお越しになっている鎮海市のノムヨンさんを囲んで焼き肉夕食会となりました。小人数の食事会で鎮海市のバトミントンチームに随行してこられた市役所のノさん、パクさんを慰労する楽しい酒盛りになりました。家路につく頃は秋雨がぱらついておりました。 |